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二学期「最強の現代文」 残りの問題解説

■第十講■



講義の〈本文構造〉のように、まずポイント図示します。そのうえで、そのまとめたポイントを順に説明していきます。では、まずは本文そのものの解説からはじめていきます。

【本文解説】
 本文を、便宜上3つのブロックに分けて解説していくことにします。

(第(1)(6)段落)


 まず、第(1)段落で「からだはだれのものか?いのちはだれのものか?」と問題が提起されます。読解ポイント「問題提起が出たら→解答を探せ!」でしたね。なので、この提起に対する解答を探しながら続きを読んでいくことになります。
 続く文脈で、筆者はこの問いに正反対の2つの答えをあげます。
 [(2)(3)段落] 個人は自由 →だからからだもじぶんのものだ
 [(4)(5)段落] じぶんのからだはじぶんのものではないと感じる

 では、この「正反対の感じ方=ずれ」はいったい何を意味しているのでしょうか。そう再び提起して次の展開に入っていきます。

(第(7)(10)段落)



 私達の「身体や生命」は、他の物体のように「所有できる物」なのでしょうか? この問いに対して、西洋では伝統的に「身体はわたしのものである→だから自由に処分できる」という「可処分性」で考えられてきたと筆者は述べています。
 しかし、筆者はその西洋の考え方に「留保(ちょっとまった!)」をつけます。「たしかに、もし身体が『単なる物体』だとしたら所有権をうんぬんするのはわかるよ。でも、身体ははたして『物体』なの?」

 次の第(10)段落では、「生命」についても同じことが言われます。「一般に、生命というとまるで実体のように考えられるけれど、本当にそうなの?」。
 それに対して筆者は、「生命は他人と共同で維持されるものであって、他人との関係を離れては成り立たない」と言います。
 ここで気づいて下さい!「実体」でなく「関係」と言ってますよ! 講義で教えた重要キーワードの1つです。


 講義では「例」として「男―女」をあげたのを覚えていますか?
 「男」「女」は実体。
 「夫」「妻」「父」「母」は関係。
 たとえば、僕は「男」ですが、結婚していませんから「夫」ではないし「父」でもありません。奥さんができたら「夫」になり、子供が生まれれば「父」になります。「夫」や「父」は、そういう「もの(実体)」があるのではなくて「関わりによって成立する(関係)」です。

 この本文で筆者は、「からだ」も「生命」も実体ではなくて関係だ、と言いたいわけです。ここがつかめていてくれればOKです。続く段落では、これを繰り返して本文を終えています。

(第(11)(13)段落)





【解答と設問解説】
問一 a=4制止 (1製造、2反省、3政策、5一斉)
    b=5譲歩 (1施錠、2醸造、3異常、4献上)
    c=1自責 (2積年、3昔日、4筆跡、5実績)
    d=3模様 (1容態、2動揺、4容認、5凡庸)
    e=2構成 (1兆候、3傾向、4効能、5講読)

問二 4
 第(2)段落の内容を受けて、「同じ論理」と言っているのですから、「個人の自由(自分の行動は自分の自由にしていい)=基本的人権の核になる考え方」が解答になります。これを説明しているのは「4」です。
 1は「大切にしなければならない」が、2は「じぶんのいのちが宿る場所」が、「自由」の説明になっていないので×です。3は「死んでなくなるものだから」が「自由に処分してよい」の理由になっていませんね。5も「身体は自分の意志をもっているから」が×です。

問三 Y 2・4・5 / N 1・3・6・7
 傍線部の「身・身柄」は、単なる「物体としての身体」ではないものですね。ですから、「単なる物体としての身体」の意味のものをNとします。

問四 2
 図式でまとめた「からだは自分のものという考え(x)」と、「でも自分のものではないと感じる(y)」の説明です。この「xなのにy」という2点の説明になっているのは「2」だけです。
 1 xにもかかわらずy
 3 xのにy
 4 xのにy
 5 xのにy
となっていて、いずれも「対比」の説明にはなっていますが、1は「臓器移植によって身体が他人のものになる」がyの説明になっていないので×。3はxも
yも×。4はyの「他人にとやかく言われてしまう」が×。5もyが×です。

問五 1
 傍線部を文として考え、「自分のからだはじぶんのものだという考え(z)」に「留保をつける」ということをまず押さえます。
 では、なぜ「z」は「留保(ちょっとまった!)」をつけねばならないのでしょうか。【本文解説】でも説明したように、筆者は「もし身体が単なる物体だとしたら→zというのをうんぬんできる」と言っていましたね。でも「身体は物質ではない」。だから「z」というためには、「もし身体が単なる物体だとしたら」という「留保」をつけないといけないわけです。
 順に選択肢を見ていくと、
 1は筆者の意見そのものなので正解です。
 2・4は、ここで求められていることと内容が全く異なるので×。
 3も「z」を議論してよいのが、基本的人権の範囲内」というのが、ここで求められている説明と全く異なるので×。
 5は「身体を他者とのやり取りの中に位置づけてはならない」が×です。筆者はむしろ、「位置づけて考えるべきだ」と言いたいわけでしたね。


問六 5
 「抽象的」という傍線部の意味を考えて行き詰まってしまう人が多い問題です。その姿勢はもちろん必要なことですが、部分がわからなければ、段落全体を〈構造的に〉考えて解決する姿勢も忘れずに!

 傍線部の主語は「生命を特定の個人の身体のうちにこと」です。つまり「生命はこの人の身体の」と考えるということですね。ところが、この段落の続く文では、


と言っています。生きている身体は「その人だけの身体」ではなくて、みんなとの関わりの中で成り立っているもの。ということは、傍線部のように「この人の身体ここにある」と考えるためには、身体は「死んでいなければならない」。でも「死んでいる」んだから「生命」はすでにない。というおかしなことになります。
 ということで、「生命を特定の個人の身体のうちに局所づける=他者の身体と切り離して考える」なんてことは、「実際にはできないこと」なんですね。(だって、「局所づけられるとき=すでに死んでいる」のだから) だから、「頭の中で考えるしかない=抽象的なこと」と言っているわけです。
 解答は、「生命を特定の個人の身体のうちに局所づける=他者の身体と切り離して考える」なんてことは、「実際にはできないこと」だから。という答えになります。これを説明している選択肢は、5になります。
 1の「基本的人権」、2の「身・身柄」はここでの話題とは無関係。3は「他の身体や生命との生きた関係の中で考える」が正反対ですね。4の「可処分権という概念に結びつけて考える」は西洋のあり方ですね。

問七 2
 これまで何度も見てきた「いのちは実体ではなく関係である」という、筆者の主張そのものを、もう一度問われている問題です。2が正解。
 1は「献体や臓器移植のようなかたちで」が×です。傍線部の述べている「いのちのもっとも基礎的な場面」というのは「食や性や育児や介護」などのレベルの日常生活でのことでした。
 3は「基本的人権」の話題がここで問われていることと違うので×。4は「共同で所有権や処分権を持つ」が本文に反しているので×。
 5も「・・・・・・基礎的な問題」という部分が×。1の説明でも述べたように、傍線部の述べている「いのちのもっとも基礎的な場面」というのは「食や性や育児や介護」などのレベルの日常生活でのことでしたね。


 以上です。理解できましたかー。よくある話題ですので、しっかりと復習をしておいてください。